おかみさんは、七十年前の、あの運命の日、まだ八歳の女の子であったと伺っております。
思えば、おかみさんの人生の大半は、『大空襲で、無念で、切ない思いで亡くなられた方々』へ向いていたのではないでしょうか。
しかし、どんなに供養を尽くしても、どんなにお供えしても、心は埋められない、心が済まない、その様な気持ち だったのではないでしょうか。
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林家一門のおかみさんこと、エッセイストの海老名香葉子さんが発願者となって始まった東京大空襲の犠牲者を追悼する「時忘れじの集い」は、2015年で第11回目を迎えました。
11年前に、海老名香葉子さんからアイエムに慰霊碑建立のご依頼をいただき、2005年3月、慰霊碑「哀しみの大空襲」と平和の母子像「時忘れじの塔」が完成いたしました。
海老名さんに共感した弊社代表の想いと、建立させていただいたご縁から、私達は、毎年、時忘れじの集い開催のお手伝いをさせていただいております。
昨年、第10回「時忘れじの集い」のご挨拶の中で、おかみさんは「あと三十年生きたい!百年供養がしたい!」とおっしゃいました。
おかみさんは、七十年前の、あの運命の日、まだ八歳の女の子であったと伺っております。
思えば、おかみさんの人生の大半は、『大空襲で、無念で、切ない思いで亡くなられた方々』へ向いていたのではないでしょうか。
しかし、どんなに供養を尽くしても、どんなにお供えしても、心は埋められない、心が済まない、その様な気持ち だったのではないでしょうか。
だから、おかみさんは「あと三十年生きたい!百年供養したい」と、心から涌き出るほとばしりは詰まるところ、自らの命を捧げて、供養に掛けるその様な決意を示されたのではないかと受け留めさせて頂いた次第でございます。
私にとりましても、あと三十年は厳しいものがあります。
しかし、これからも、おかみさんを中心に、皆さんと共に、一年、また一年と「百年供養」というおかみさんの高い志に、近付けていければと存じます。